玉藻公園「高松城跡」

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高松城は天正15年(1587)に豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が築いた水城で、その後4代続いた。寛永19年(1642)には徳川家康の孫で水戸光圀の兄・松平頼重が入城し、明治2年の版籍奉還まで11代続いた。 高松市が昭和30年(1955)に公園を整備してからは市民の憩いの場として親しまれ、桜見物や菊花展、植木市などの催しでもにぎわう。今も堀には海水が引き込まれていて、天守台からは港に出入りする船を見ることができます。

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艮櫓

艮櫓はもともと東之丸の北東のにあった櫓で、北東の方角を丑寅ということからこの名前があります。完成は延宝5年(1677年)頃といわれ、月見櫓と同時期につくられました。三層三階・入母屋造・本瓦葺で、形は月見櫓と似ていますが、初層に大きな千鳥破風があるのが特徴です。

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月見櫓「着見櫓」

着見櫓は出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので着見櫓ともいわれています。総塗籠造りの三層三階、入母屋造・本瓦葺で、初層は千鳥破風、二層は唐破風と屋根の形を対象させて、また各層の白壁に上下二本の黒塗長押を巡らして変化を持たしています。

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旭橋と旭門

かつて、城の南側の桜の馬場の南中程(現在の南西隅)に大手門がありましたが、寛文11年(1671年)頃、三の丸に藩主の住居である旧披雲閣が建てられたため、これを廃して新たに東に旭橋を架け、それを渡って旭門から出入りするようになりました。

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鞘橋

本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当初は欄干橋でしたが、江戸時代中期末頃にこのような屋根付の橋になっていたようです。

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桜御門跡

旧文化財保護法により国宝(現在の重要文化財クラス)に指定されていましたが、昭和20年の高松空襲により焼失しました。石垣や礎石に焼けた跡が見られます。